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ドビュッシー「ベルガマスク組曲」の探究 1−①

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「ベルガマスク組曲」のプレリュード(前奏曲)】1ー①

「ベルガマスク組曲」の第1曲目「プレリュード」は1890年頃に着手、1905年に改訂・出版された作品。

初期の作曲(1890年頃)ドビュッシーが28歳時の作品。 1905年の出版楽譜のタイトルの下に彼自身が「1890年」と日付をあえて記しており、この曲を初期の作品として位置づけていたことがわかります。

「ベルガマスク」の由来
「ベルガマスク(bergamasque)」という言葉は、イタリアの都市ベルガモに由来し、ベルガモ地方の素朴で無骨な舞曲「ベルガマスカ」や、同地を故郷とする即興仮面(コメディア・デラルテ)の道化師「アルレッキーノ(ハルレクイン)」にも由来する。

ドビュッシーがこのタイトルを選んだ直接のきっかけは詩人ポール・ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』の詩「月の光」の一節、”Que vont charmant masques et bergamasques“(魅力的な仮面劇者たちとベルガマスクたちが通り過ぎていく)という表現に触発されたためであるとされています。

28歳のドビュッシーは、ローマ賞によるイタリア留学から帰国(1887年)して数年が経過した頃であり、パリを拠点自らの音楽語法を模索しながら、不安定かつ刺激的な生活を送っていました。

1. 生活と経済状況

  • サティとの出会い: 1890年に作曲家エリック・サティと出会う。二人は作曲アプローチにおいて意気投合、同じカフェ社会を楽しみながら共に金銭的な困難を抱えていた「同志」のようでした。
  • 環境: パリの活気ある芸術シーンに浸り、博覧会を訪れたり現代詩を読みふけったりしていました。

(※Gemini生成、イメージ画像。ドビュッシーとサティが音楽談義をパリのカフェ、シャノワールで行っている)

2. この時期の個人的関係

  • ミューズとの別れ: 長年の不倫相手、マリー・ヴァニエとの関係がこの頃に終了。1890年、彼女に最後の歌曲「マンダリン」を献呈しています。
  • 別の女性との交際;同年にガブリエル・デュポンと交際を始め、数年後には彼女と同棲生活を送ります。

3. 芸術的探求と作曲活動

  • 文学からの影響: ステファヌ・マラルメやポール・ヴェルレーヌといった象徴主義の詩人たちサークルに出入りし、彼らと交流することで多大な影響を受けました。彼の音楽における「言葉の表現力が終わる場所から音楽が始まる」という想いはこうした交流の中で育まれた。

  • その他の初期作品: 1890年には『夢想』、『ロマンティックなワルツ』、『マズルカ』といったピアノ小品も生まれている。

総じて28歳のドビュッシーは経済的には苦しいながらも、パリの新しい芸術的・文学的潮流の中心に身を置き一歩を踏み出し始めた時期を過ごしていたようです。

当時のフランス

1890年ごろのフランス(主にパリ)は「フィン・ド・シエクル(19世紀末、世紀末)」と呼ばれる時代の只中にあり、文化的・芸術的な熱気に満ち溢れた、極めて刺激的な変革期であり、 経済的・政治的な力強さを背景に持ちながら、内面では既存の伝統からの脱却と、感覚的な美(音、色彩、言葉のニュアンス)の追求が加速していました。

芸術的発酵の雰囲気に包まれており、新しい表現を求める芸術家たちが集う中心地でした。

※1890年ごろの芸術的発酵のパリの雰囲気をイメージをGeminiが生成

1. 芸術的発酵と「ボヘミアン」な生活

  • カフェ文化の隆盛: 芸術家や詩人、知性派たちは、シャ・ノワール(黒猫)や「タヴェルヌ・ウェベール」、「独立芸術書店」といった場所に集まり、夜な夜な議論を戦わせていました。
  • ボヘミアンな現実: ドビュッシーやエリック・サティにみられるように、若き芸術家たちはこうしたカフェ社会を享受しつつ、経済的には生存のために苦闘するボヘミアン生活を送っていました。
  • 文学との密接な関わり: 音楽家、画家、詩人の境界が非常に近く、ステファヌ・マラルメの「火曜会」のようなサークルを通じ、象徴主義の詩人たちが新しい音や光を言葉に投影し、それが他の芸術に刺激を与えるという相互作用が起きていました。

2. 社会:万国博覧会と植民地権力

1889年に開催されたパリ万国博覧会は、この時代を象徴する巨大なイベントでした。

  • 国威発揚: 博覧会はフランスが植民地大国としての力(Dominant relation to power)を示す場であり、自国の洗練された文化を「エキゾチックな他者」と対比させて誇示する意図がありました。
  • 異文化との遭遇: ドビュッシーのように鋭い感性を持つ人々にとって、それは単なる政治的展示ではなくジャワのガムラン音楽など、非西洋的な響きに出会う音楽体験の場となりました。

3. モダニズムへの転換と「退廃

これまでの伝統的な価値観に対する反抗と、新しい時代の幕開けの混在。

  • 象徴主義の台頭: 1870年代までの写実主義や自然主義に対する反動として夢やヴィジョン想像力の力を重視する象徴主義が支持されました。
  • 活気ある退廃: 時代精神としては「活気に満ちた退廃的(vibrantly decadent)」な雰囲気があり、古い秩序が崩壊していく中での享楽的な側面も持ち合わせていました。

4. 音楽界の厳しい競争

  • 古典の定着: モーツァルトベートーヴェンといった「巨匠」の作品が標準的なレパートリーとして定着し始めた時期でした。
  • 現代作曲家の苦悩: コンサート・プログラムが確立された名曲で埋め尽くされるようになり、存命中の作曲家が新しい作品を演奏する機会を得ることは困難な課題となっていました。


追記;1980年の日本は・・明治23年。「大日本帝国憲法」施行。第1回衆議院議員総選挙、教育勅語の発令、初の電話交換業務、電力の普及、エビスビールが発売など産業革命の進展と近代化の年でした。

この回はベルガマスク組曲のプレリュードが生まれた時代背景やドビュッシー周りの関係について記述しました。簡易なまとめとなっていると思います。 次回は具体的な楽曲分析等にします。

ごきげんよう!