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1.愛の讃歌🎶

1950年に録音されたフランスのシャンソン(歌)。歌手は有名なエディット・ピアフ(1915年〜1963年)。作曲;マルグリット・モノ(女性)。歌詞;エディット自身が書いた。エディットとマルセル(エディットの恋人、1916年〜1949年)は1946年7月にエディットの公演が行われていたクラブ(レストランのような場所)で初めて出会った。再会したのは1948年1月、再会してから恋愛関係に。                                         私が留学中に購入した1冊の本はこの二人が交わした恋文。なぜ購入したかというと読み易かったことが一番の理由。日常の口語表現が多く使われ語学の勉強にもなったから。              

この恋仲は出会ってから僅か1年9ヶ月で終止符。1949年の10月マルセルが搭乗した飛行機が墜落、マルセルを待っていたエディット、悲しみは相当だったと想像。。。                               

エディットが生まれた年(1915年)といえば日本は大正4年、第一次世界大戦中、芥川龍之介が『羅生門』を執筆、夏目漱石48歳、武者小路実篤、政治家の吉田茂、澁澤栄一の晩年期、山田耕作29歳など。世界ではアレクサンドル・スクリャービンが亡くなった年。                マルセルは1歳年下になり同世代の恋ですが、すごいカップルだと思えるのは二人とも有名な存在であったところ。マルセルはボクサー、中量級の世界チャンピオン。それでこの恋は当時有名になった訳ですが、何かが結びついて心に火がついたというか恋の情熱というもの、本を読んでいると私は呆れるくらいに四六時中相手のことで心は奪われ、周りのスタッフはそれを受け入れていく毎日の過ごし方。自由を許容するフランスの国ですが有名人の二人は新聞にもちろん載った。

 「愛の讃歌」が流行った1950年、日本は昭和34年、TVやラジオなどの家電製品が普及した時代。 歌詞の内容はマルセルに宛てた手紙,,,昔は携帯電話・電子メールのような便利な物は無いので手紙が主流である。とても強い恋愛初期の情熱や純粋に相手を慕う気持ち、何をして一日を過ごしたか(開示)今日もどのくらい貴方を愛していたかなどのやり取り。その手紙の中から文章を抜粋され「愛の讃歌」の歌詞に含まれていて興味深い。

しかしマルセルが飛行機事故で亡くなった後にこの曲をマルセルのために歌ったのだから心痛と恋の残り香は歌に乗って会場に飛ばされ、客からの喝采が返ってきたのではないかと想像。それだけでなく、曲がよくできた曲なのだ。現代においてもこの曲は大スターが歌い、フランスの象徴のような地位を固めている。曲の雰囲気はシャンソン独特の囁き部分があったり対話をするように旋律が交差したり、最終部に向けて大きく飛躍するかのように盛り上がっていく形態をとっている。作曲家のモノに対しても敬意を表します。

今日はここまで。お読みくださりありがとうございます。                    持っている古い本の写真を撮ったのですがワードプレスに慣れてずPCも使い慣れてないため画像挿入できていません。                                   とりあえず文章のみ作成、長く書いてしまいました。 次回は曲について書きます。       皆さん、ご機嫌よう!